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『自分をカタチづくる歴史』
皆さんは自分という個性がどんなふうにしてカタチづくられたのかを考えたことがあるでしょうか。私は思春期の頃からそういうことに関心があって、大学の卒論は内観法による自己分析でした。自分の行動や思考の癖は、成長・生活の環境や体験に大きく影響を受けているはずで、“三つ子の魂百まで”というように幼少期の環境・専門職スタート時の環境からの影響は、いまの自分のなかに深く根付いているのだと思います。
さて、私のルーツでもある母が4月早々に米寿を迎えるので、3月終わりに2人旅をしました。記念日や誕生日に贈り物をしたことがほぼない私でしたが、米寿祝いには【誕生日新聞】というものを準備しました。誕生日の日付などで10年毎とか、任意の新聞紙面を印刷してくれるサービスです。せっかくなので母のライフ・イベントの日付で10枚を冊子にしてもらったのですが、誕生日や出産日、夫との死別日は知っていても、結婚記念日や2度にわたる父の献腎移植日はわからず、母本人に聞いて確認しました。誕生日新聞は滞りなく事前準備できて旅先で渡すことができたのですが、母はいろいろ思い出したのか、数点の資料を旅先に持参してくれました。私の父に関連する資料です。
私の父は、日本の臓器移植黎明期である1971年と1973年に、死亡事例からの献腎移植を受けた稀有な事例です。未だ透析は健康保険対象外で透析器は国内に6台、透析には10時間を要し、隔日透析するような時代です。その時代に透析を受け、臓器移植の機会を得たのですから、相当な困難があったのだと思うのですが、私は物心つく前なので全く分かりません。母からいろいろ聞いてはいても、当時の父の思いはよくわからず。父は55歳(私が19歳時)まで生きましたが、あまり語ってくれませんでしたので、この旅で母が見せてくれた資料を興味深く読んだのでした。かなり個性の強い母がなぜそうなったのか(母の生家のこともあるので父のことだけではないけど…)、私の子供時代の環境のことなどなど、いろんなことが腑に落ちた旅の時間でした。母には複雑な思いをもっている私ですが、母親も一人の女性としてみると理解できる部分も多く、娘としての自分の気持ちも整理されていくから不思議です。まだまだ一人で上京し、QRコードをモノともしない母なので暫く元気でしょうが、年齢も随分と重ねているのでここ1~2年がいろいろ聞きだせる限界かと思っています。
自分理解のため、生育の歴史をたどる旅、皆さまにもお勧めします。(家庭環境だけではなく専門職としてのスタートの歴史も、いまの自分に大きく影響しているんですよ) 柏谷優子
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